「教授」に“おなか一杯” YMOとわたし(3)

「BGM」や「テクノデリック」のころには、すでに“バツいち”矢野顕子坂本龍一「教授」との仲は公然だったように思う。ガキながらも、「いけすかない」カップルだとなんとなく感じたものだ。もちろんその頃のわたしは、“みそ汁の旨さ”を理解できるわけが無い年頃だったわけだがw
YMO - 1000 Knives (Live)

惚れたオトコの近くで張り切り過ぎwつんのめり気味な“純朴バツいち”矢野顕子。(大笑)

・・・「体操」、笑える!!「CUE」かっこいい!!、 「U・T 」、YTといえば〜(笑)・・・が、全盛期にもかかわらず、どことなく「散開」への雰囲気が感じられた。頂点から下降するところを見たくなかったのかも知れない。「うーん?そろそろおなか一杯かな??」

ソロ活動が目立ち始めるYMO
ハイスクールララバイ」あはは。「ドリップ・ドライ・アイズ」うーん、ユキヒロ節!・・・。だったのだが、特に「教授」には“スタンドプレー”というか、何か釈然としなかった「“民族音楽をあなたに”かよ!?」。。。・・・ちょうど、「貸しレコード屋」にもVisageUltravox、Japanといった、より商業主義風味なケバケバ“洋食”が並び始めたころだな。


YMOは“あざとさ”を身上とするユニットだった。結成のいきさつからして「世界戦略」を掲げ、流行の音やビートを先取りし、想定し得る全ての“ぼくちゃん・おじょうちゃん”達に受け入れられるイメージを徹底リサーチして「YMO」を形成してきた。
アーティスティックな面と商業主義的な面との絶妙なバランスのうえに立ち、極めて恣意的に、売らんがために演じていたのだ・・・まるでアイドル歌手が、踊りたくも無いであろう恥ずかしい振り付けを覚えたり、常識外れな衣装を纏うように。よって「アイドル」を拒絶するのは簡単なことなのだが、拒絶スレスレというリスクを犯していたからこそ、その“あざとさ”を魅力として、気持ち良く感じていたのだ。


そのあざとさを過度に誇張し、その反面であるアーティスト・エゴを、最初に垣間見せたのが、「教授」だったのかな?とにかくその“振れ幅”が気持ち良くないものとなってきていた。もちろん才能には敬服していたし、「教授」自身が真・ミーハー好きなことを頭で理解していても、何かが引っ掛かっていた。
いまでこそ酔った勢いを借りてカラオケで「い・け・な・いルージュマジック」あたりを歌ったりするもの、当時は意外と冷ややかな受け止め方をしていた。
そして「メリークリスマス・ミスターローレンス」。
Ryuichi Sakamoto - Merry Christmas Mr.Lawrence

「ふー。教授丼も完食。YMO定食ごちそうさまでした」って感じ。


当時はまだ「ピート・バラカン」だったピーター・バラカンが訳詞していた、教授初期ソロシングル「WarHead」や、「春がいっぱい」までも買い揃えていたことだし。また“教授丼”が食べたくなったら「サウンドストリート」を聴けばいいか。
・・・いやはやほんと“おなか一杯”だったんですわw
「浮気なぼくら」ってのは、こんな“ぼくら”への皮肉も込めてのタイトルだったんでしょうね(・∀・)


ちなみにYMO→スネークマン・ショー→小林克也と来て「ザ・ナンバーワンバンド」まで引っ張られた人たちも、このころ結構いたんじゃないかと(笑)。「ベンちゃ〜ん!」